豊中市の中でも先駆けてマンション建替えを実現。
14年の歳月を経た建替え実現までの経緯を伺いました。
Q.01
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1968年に建設された団地のため、設備面での設計が古く、電気容量が小さいためブレーカーがしばしば落ち、水廻りの水漏れも目立ちはじめていました。
私たち団地居住者が高齢化していくので将来に対する不安がありましたし、同時期に近隣の団地で建替えの検討が進んでいたこともあり、管理組合の理事会メンバーを中心に、専門の検討委員会を発足しました。
Q.02
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バブルが崩壊し、等価交換による建替えの可能性が予測できなくなりました。そこで、千里ニュータウン内でマンション事業経験のある企業や住宅・都市整備公団(当時)に相談したところ、市況的に今すぐ事業に参画するのは難しいという回答を受け、一度計画を中断することにしました。
計画を中断してから1年後も、建替え自体に反対している方は少なく、私たち委員会に任せるという意見をいただいたので検討を再開しました。
まず阪急阪神不動産から提案していただいた計画案を元に、住民全体からアンケートを取り、その修正を一緒に行いました。委員会も住民からの質問や疑問に対して丁寧に率先して答えていきました。アンケートを何度も行って計画を見直し、住民説明会や相談会も頻繁に行ったので、阪急阪神不動産も大変だったと思います。
まず提案していただいた計画案を元に、住民全体からアンケートを取り、その修正を阪急阪神不動産とともに行いました。建替え推進委員会も住民からの質問や疑問に対して丁寧に率先して答えていきました。アンケートを何度も行って計画を見直し、住民説明会や相談会も頻繁に行ったので、阪急阪神不動産も大変だったと思います。
その後もバブル崩壊の影響は続き、土地やマンションの値段はどんどん下がっていき、阪急阪神不動産も苦渋の決断だったと思いますが、還元条件を見直したいという申し入れがありました。それを受け、建替えをこのまま続けるかどうかで、住民同士かなり議論になりました。経済状況は悪化する一方だったこともあり、1年くらい膠着状態がつづいたと思います。
阪急阪神不動産とはお互い腹を割って話し合えたことで、私たちも解決の糸口をみつけることができました。この時以降、共通の目標に向かって、互いに協力し合いながら進めようという信頼関係が築けた気がします。建替え説明会では新しい還元条件を区分所有者の方にお伝えし、全世帯から「マンション建替え基本同意書」を回収でき、念願の全員合意による建替えが実現できることとなりました。
Q.03
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建替えを行うと、従前よりはるかに大きな建物が建つことになり、街全体の景観への影響が非常に大きいです。そういったところも阪急阪神不動産はよく考えてくれていたなと思います。
従来から続く地域とのコミュニティを大事にしたかったので、我々はマンションの敷地にセキュリティを設けないでほしいと要望しました。阪急阪神不動産は、商品力が下がると難色を示していましたが、最終的には私たちの考え方を受け入れてくれました。屋上庭園では、近所の子どもたちが遊んでいますし、地域の方も招いて盆踊りも開催しました。
いくつも困難がありましたが、デベロッパーとの信頼関係があったからこそ、お互い思ったことを言い合って解決することができました。やはり建替えはデベロッパー任せではなく、住民とデベロッパーが一体となり、意見を出し合うことでお互いが納得することが重要です。阪急阪神不動産とはそんな関係を築けたことが、今回の成功につながったと思います。